大阪に、強力な磁力を持つ男がいる。
三反田 久弥(さんたんだ・ひさや)。
彼の周りには、彼を兄や弟のように慕う「社長たち」が集まる。
主宰する『settenn(セッテン)』は、紹介審査制を貫く、国内外600名超の経営者プラットフォーム。
驚くべきは、そのビジネスモデルだ。
これほど多くの社長同士を繋ぎ、月会費わずか1万円。巨額のビジネスをマッチングさせても、成果報酬は受け取らない。
多くの経営者が、驚き尋ねる。
その答えを知るには、「営業の天才」ともてはやされ、「地獄」へ突き落とされたあの日々へ時計の針を戻さねばならない。
三反田の人生は、「自ら道を作る」ことの連続だった。
祖父は政治家、父は教育者。厳格な家庭で「期待に応える」重圧を背負いながら、彼はサッカーに情熱をぶつけた。全国強豪校での競争、大学での「監督兼主将」という経験は、彼に「組織を動かす術」を叩き込んだ。
新卒入社した東京の会社では、いきなりトップセールスを記録。新人なのに入社2ヵ月目で幹部に昇進。その人を惹き付ける話術で様々な研修講師も引き受けた。
その後、地元へ戻ろうと、当時中途採用の無かった人材大手インテリジェンス(現パーソルキャリア)東京本社にアポなしで乗り込んだ。
偶然通りかかった役員に直談判し、「面白い男だ」と採用の扉をこじ開けた。
彼の魅力は相手の懐に飛び込み、本質を掴む突破力と人間力。それが20代の彼を、向かうところ敵なしの営業マンへ押し上げた。
しかし20代半ば、運命は急転する。
朝、目覚めると目の焦点が合わない。右目と左半身が痙攣し、身体の自由が奪われ即入院。診断名は、20万人に1人の難病「フィッシャー症候群」。
妻が第一子を身ごもったタイミングで、死を意識した。右目の外転神経麻痺という後遺症が残り、「目力」でも人を動かしてきたトップ営業マンは、鏡に映る姿に自信を失いかけた。
病室の窓から空を見る三反田の隣で、家族だけが寄り添ってくれた。
絶望の最中、一本の電話が鳴った。
これまで腹を割って話すことがなかった厳格な父だった。
「安心しろ。
お前の目が使えなくなったら、
俺の目をやる!」
父の言葉は、三反田の胸の奥深くに『親の愛』として突き刺さった。
親が子に厳しく接することの難しさ、そしていざという時の覚悟。
彼はこの時、家族への「愛情」を身をもって知った。
退院後、「誇れる仕事をしたい」と選んだのは、ハローワークで見つけた、在宅医療の会社だった。
難病経験から共鳴し入社したが、提示された固定給は最低額からのスタートだった。家族の生活費を補うため、社長に「聞かなかったことにする」と黙認の上、バイトを掛け持ちした。
入社半年後、彼は機器リースからフランチャイズまでビジネスの仕組みを吸収し、「1年間で結果を出したら、役員にしてください」と社長に直談判。全国を巡って圧倒的な結果を出し、1年半で役員に上り詰めた。宣言以上の達成。自分の実力を確信した瞬間だった。
だが、大病で経験したもう一つの辛さが、心から消えずにいた。
地位や金ではなく、一生付き合える仲間を増やしたいと動き出す。
役員業と並行し、若手起業家を集めた「若手商店街」を立ち上げた。
その統率力と無償の純粋な想いが年上の経営者たちを惹きつけ、瞬く間に全国数百人組織になった。
しかし、「ハローワークから役員になった男」として名が知られてきた仕事に、突然終わりがやってくる。営業方針を巡り、社長から「そんなに自由にしていいとは言ってない。俺の言うことを聞くか、辞めるか選べ」と突きつけられた。辞める気は無かったが、スタイルを曲げることはできなかった。
独立する気も無かったが、これが人生を変える転機となる。
「何をしたらいいと思いますか?」と、社長たちを訪ね歩いた。
営業代行の返答を予想していたが、返ってきた答えは、全員同じだった。
相性が合いそうな経営者同士を引き合わせるのは、彼にとって「当たり前」の習慣だった。しかし、この無意識の行動が、実は最も必要とされ喜ばれる「特殊能力」だったと気づかされる。
退社からわずか1週間で、月商150万円を超える年間契約が次々に確定した。
ただ、契約してくれた金額がバラバラだった。
この決断が、一気に数百人の経営者たちを呼び寄せる。
無償の情熱で立ち上げた「若手商店街」は後継者たちに託した。
(今も、北海道から沖縄まで大盛況で続いている)
彼の真の凄さは、若手商店街とsettennで社長たちがほとんどカブっていないことだ。両方まったく別ルートから、全国数百人規模で一気に立ち上げている。
2011年『settenn(セッテン)』設立から、15年。
今も毎日40社以上の経営者たちを繋ぎ続けている。
15年間で生まれた紹介は、累計20万件を超え、M&A成立150社以上、上場した会員企業45社以上。一人の人間の仕事として、驚異的なスケールだ。
地方小企業のポテンシャルを見抜き、上場へと導かれた社長の感謝の声だ。
すべてのチャンスは、人と人が交わる「接点」から始まる。社長同士の人生を変える、出会いの交差点といえるだろう。
なぜ彼は「一万円」で、これほどまでに汗をかくのか。
settennを作った本当の原点は、未だ何者でも無かった、あの闘病の日々にあったのかもしれない。
そして、彼は少年のような笑顔でこう言った。
「それに無一文で日本中の知り合いの家を巡って泊めてもらったり、食事をご馳走してもらえる人生って、最高ですよね?」と笑う彼の目は、誰よりも深く澄んでいる。
今の三反田を見て、実績を聞くと「カリスマ」という印象を持つ。
だが、昔からの友人たちは口を揃えて言う。
どんなに底知れない影響力を持つ人物になっても、彼はバカな話で場を和ませ、誰よりも相手の話を聞く。
" たった一万円の経営者紹介システム " " 器が大きすぎる "
この二律背反こそが、社長たちが抱く "不思議な魅力" の正体だろう。
彼は今日も携帯を握り、国内外を飛び回る。
「調子はどうですか?」
かつての死の淵から這い上がった男は、
新しい未来を生み出し続ける。
「大丈夫。俺がいます。」
三反田は、今日も誰かのために汗をかく。
わずか月1万円。
その哲学が、仲間の未来を切り拓いていくと信じて。
