インドネシアの夜道を、バイクで走っていた。
車との衝突事故。3日間、意識不明。
顔は原型をとどめず、全身縫合の跡だらけ。
半身麻痺。手術はすでに4回終わっていた。
治療があと1時間遅れていたら死んでいたという。
「退院まで1ヶ月はかかります」
安達正之は、こう思った。
そして、その通りにした。
退院10日後にはジムで自転車を漕ぎ、インドネシアチーム移籍を目指す日本人プロサッカー選手とボールを蹴っていた。
「あなたは人間じゃない……」
大阪トップクラスの進学校出身。
子どもの頃から、「自分にできることは何か」を考えていた。
確かにサッカーは好きだが、彼に言わせればこうだ。
純粋な情熱でボールを追いかける少年たちとは、見据えている「ゴール」が違っていた。高校1年が終わる頃には大検試験に合格し、サッカーユースチームとバイトに明け暮れる日々を始めた。
19歳でアメリカへ。LAのチームとプロ契約。
理由はシンプルだ。「日本は給料が安かったので」
しかし、いよいよトップチーム昇格が見えてきた矢先。契約更新の手続きのために一時帰国した日本で、前十字靭帯断裂という大怪我を負ってしまう。
普通ならその地獄でもがき、復帰を目指す。
だが安達は違った。手術を受け、リハビリを始め、気づいた。
気持ちが入らない、と。
彼はすぐに頭を切り替え、ユニフォームを脱いだ。未練はなかった。
戻ったアメリカで、泥棒に入られ、所持金ゼロに。
そんな時、安達を新たなピッチへと導いてくれたのが、アメリカ人の恩人だった。"プロサッカー選手・安達正之"のファンだった人物だ。
廃木材や生ごみ等の資源を燃料にして、電気を作るシステム。
アメリカ人師匠に一番叩きこまれたのは、ビジネスというより「人として守るべきこと」だった。約束を守る、時間を守る、30分前行動を心掛けなさい、などだ。
そうして挑んだアメリカでの、それも初めてのビジネス。
地獄の連続だった。
"0から1を作るのが好き" そう語る安達がゼロから事業化したその会社は、その後、日本企業に約72億円で買収される。安達が25歳の時のことだ。
本当の喜びは数字ではなく、
自分を信じて投資してくれた
師匠の笑顔だった。
最高の恩返しができ、プロに区切りをつけた決断も正解にできた。
2週間の休暇のつもりが、インドネシアに来て、もう14年が経つ。
不動産やM&A等を扱う会社「ARCADIA」設立。今では日本人が不動産を取得しようとしたとき、最後にたどり着く会社になった。顧客の多くが上場企業社長や投資家。完全紹介制だ。
スペインに住んでいたこともある。バルセロナのバルで意気投合したイスラエル人の凄腕エンジニアと組んで、IT会社を立ち上げた。
コロナで帰国を余儀なくされた時には、無償でその会社を譲った。
インドネシアで生活インフラとなっていたライドシェアの日本初導入も手掛け、日本経済新聞でも紹介された。
しかしそこで、役員の裏切りに遭った。誹謗中傷。事実無根の噂。家庭も崩れかけた。それでも安達が折れなかったのは、なぜか。
「悩むだけ無駄。
悩んでる時間って、
要するに暇でしょ?」
ドバイを含め、多くの国でビジネスをしてきて、気づいたことがある。
お金の価値は、国や時代によって変化する。でも、人の温かさや信頼はどこへ行っても変わらない。
だから、時間の使い方を変えた。
大阪万博のチケットをくれたのはサッカー仲間のインドネシア大統領の息子だった。大手企業から顧問を頼まれることもあれば、飲み仲間の縁でプロバスケットボールチームのスポンサーにもなる。そんな人間関係の網の目が、世界中に張り巡らされている。
今、安達が静かに動いているのは「宇宙食」だ。
東南アジアにしか存在しない植物を使ったパワーフード・エナジーフード開発を構想している。インドネシア政府も宇宙産業に力を入れると発表した。月収2〜3万円で生活するインドネシアの人たちに栄養価の高い食を届けることも視野に入れている。ビジネスと社会貢献が一本の線でつながる。
起業志望の若者が相談に来ても、彼は決して否定せず背中を押す。
「もう独立します!」というアシストが次々と起きる。
成功の定義を聞くと、彼はこう答えた。
バイク事故の夜、倒れた安達の周囲に50人もの人が集まった。インドネシアでは普通、事故が起きても人は助けに来ない。そういう文化だ。でもその夜は違った。
と、みんなが病院搬送を助けてくれた。損得勘定なしに日頃から手を差し伸べていた地元の人たちが一斉に駆けつけたのだ。
あの夜の彼を助けたのは、これまで安達が築いてきた「人」だった。
気づけば、彼の命は「人」に救われた。
「結局、最後は人でしょ。」
彼の生き方が、彼自身の命を繋ぎ止めたのだ。
ああ、これでよかったんやな……
___ きっと、この人に会ったら、何かが変わる気がする。
